広東商団事件 -第三次広州政権と市民的自治の分裂
広東の商団組織は1924年、組織的な成長を遂げ、社会基層からの代表性を持った公共団体になりつつあった。しかし、国民党と孫文の指導権を認めなかったため、国共合作下の第三次広州政権によって武力弾圧されてしまった。これは、国民党が社会自体の統合力を利用した地域レベルからの国家建設という路線を放棄したことを示している。pp.63-86.
『東洋学報』第81巻第2号、東洋文庫