古代におけるソクラテスに始まるディアレクティケーの概念史的研究の一齣として、新約聖書においてδιαλέγομαιというその語が集中的に用いられる使徒行伝を取り上げる。ただし、使徒行伝を一つの独立した作品として押え、従って、後代に確立されるキリスト教教義体系とは独立な文書として把握し、その上で、ヘレニズム、ヘブライズム、西方ローマ世界の交錯する前教父期のキリスト教文書のひとつとして、デイアレクティケーの概念がどのように捉えられるか、言語の使用法の面から前梯的な分析を行い、従来の新約聖書学の成果を批判的に検討する。