戦前日本の国際協調派は、アメリカ民主主義を日本が目指すべき理想として美化し、それに近づくべく日本の近代化・文明化を推進した。第一次大戦を経て日本が世界五大国の一角を占めた後のワシントン会議に際して、国際協調派は、その国際的地位に相応しい外交的措置として、同盟政策、海軍政策、中国政策のいずれにおいても、大きな妥協をしたとの自意識に立った。しかし、排日移民法がアメリカで可決されたことにより、国際協調派の自らの来歴への誇りとアメリカに対する信頼とは著しく傷つけられた結果、アジア主義に接近し、やがて軍部による積極的な対外進出へと立場を転じる者が現れた。