革新主義運動の旗手ローズヴェルト(Theodore Roosevelt: TR)は、連邦政府のポリスパワーの拡大により、資本家と労働者の間に社会的均衡を打ち立てることを目標とした。このニュー・リベラリズムの実現のためにTRは、社会改良を要求する急進派と、これに抵抗する主流派とを対抗させ、両派の間にいる穏健派を共和党の政策決定過程の中心に位置させる「中道政治」を実行した。だがタフト(William Howard Taft)は、TRが「中道政治」を継続させるために避けていた関税改正を強行する過程で、議事運営を支配する主流派に依存を深め、急進派の離反を招いた。タフトが「中道政治」の継承に失敗したとみたTRは、共和党の政治力学を「中道政治」に引き戻すため、急進派と同じく、合衆国憲法修正により直接民主制度を導入することを提唱した。けれども、主流派と急進派の妥協を可能にしていたルート(Elihu Root)とロッジ(Henry Cabot Lodge)は、直接民主制度の導入が三権分立を崩壊させ、国家社会主義を招くとして反対した。結果としてTRの「中道政治」は困難となり、共和党は古典的リベラリズムへと回帰していく。