本論は「林京子論―語りえぬものの実存を追い求めて」をテーマとして取り上げ、語りえぬものの実存という見えない内面の折り重なった錯綜的な諸相を作品を通して考察した。
本論では、「語りえぬもの」として、林京子の30年の時間をかけて内面化された「被爆体験」が林京子の実存そのものであり、語りえぬものの実存の表象が作家を生み出す源泉であることを探求した。30年間も封じ込められた「沈黙」は、「祭り」というメタフォアで打ち破られた。
「祭り」は林文学の象徴体験と内在的世界観を浮かび上がらせたのである。さらに、語りえぬものの実存は、経験の記号ではなく、記憶という経験の衝撃の痕跡によって形成される実存である。それは直接表現では語りえないし、そもそも語られえないことによって記憶化し、痕跡化した、いわば影の実存であると考える。
祭りのメタフォアと記憶=痕跡を本論の考察の基本的なアプローチの手段として用いたと思う。