『国家』篇335dにおける挿入句οἶμαιを伴うソクラテスの、同名因果という当時の常識の具体例を内容とする発言は、従来、主張文と考えられ、句読法上終止符が付せられている一方、また、古来、イデア説の要となる考えでプラトンの考えの一端が示されている箇所と解釈されているけれども、有力写本Parisinus graecus 1807には9世紀当時の疑問符が付せられており、また、挿入句οἶμαιは、プラトンの語法を含む古典文学の語法として、間接的、直接的言語行為として問いとして用いられているものであり、また本箇所のそのほかの構文的特性も十分問いであることを支持するものである。