Breaking the Alibi of Dialectic Luke’s Placement of Paul’s Dialectic in his Acts
使徒言行録に現れる、パウロにのみ述定されるδιαλέγομαιという活動の解釈について、文献学上の先行研究を更新することを通して、「対話」か「説教」か、従来決着の着かなかった解釈問題に対して、後代の教義体系によるのでなく、(1)ルカ文書の語彙的特性、(2)テクスト内部の証言、(3)ルカ文書の様式ならびに編集法、以上3つの論拠から、「対話」と取る解釈の妥当性、更に一歩押し進めて、「弁証術的対話」と取る解釈の妥当性を論ずる。
明治学院大学キリスト教研究所『紀要』33号(2001), 261-304