読者がソクラテスにεἰρωνεία並びにアイロニーを読み込む時、そのことによって、テキストを解釈する上で生じてくる問題を提起する。その前梯的作業として、先行する概念史的研究の成果に基づいて、古代におけるソクラテス理解の問題としてεἰρωνείαは、プラトンの対話編の内部にあっては、ソクラテスの対話相手がソクラテスを非難する為に用いる符標であり、プラトン以降の証言においては、テキスト解釈の裏付けを伴なわない言及に留まる事を提示する。即ち、「ソクラテスのアイロニー」とは現代におけるテキスト解釈上の課題であることを示す。このことに基づいて、特に20世紀後半のテキスト解釈に基づくソクラテス問題において、グレゴリー・ヴラストスのソクラテス理解を取上げ、アイロニーを読み込む事の持っている解釈上の前提に触れ、その問題性を喚起する。