ルーズヴェルトによる対中政策を、人種的イデオロギーの観点に基づき、バックパッシング論を援用しながら再解釈した。その概要は次の通りである。20世紀初頭の中国では既にヨーロッパ列強が割拠しており、アメリカが勢力圏を構築する余地は乏しかった。そこでルーズヴェルトは、アメリカの潜在的国力を列強に誇示しながら、門戸開放原則を維持する方途を模索した。その最中、ロシアが中国主要部への南下を試み、アメリカの要求に反する動きをみせたため、ルーズヴェルトは自国に代わってこれに制裁を科す「文明国」を探し求め、結果的にそれは日本となった。しかし西海岸の排日移民問題が起こり、ルーズヴェルトは日本との「人種的差異」を解消できないとみるや、日本との協調関係を維持しつつも、中国自身の「文明国」化を目指す方針に転換した。