平安末期および鎌倉初期、院御所と主である院の換喩として仙洞、藐姑射、蓬壺、脱屣、虚舟といった漢語が用いられ、願文の用例に関する研究、『荘子』逍遥遊篇を典拠とする「藐姑射(はこや)」の和歌の用例に関する研究がすでにある。これらをふまえて「藐姑射」がどのようなイメージの広がりを持ち、何を詠んでいるのかについて考察した。この語が最も盛んに詠まれた後鳥羽院政下の初期には「松」や「千代」「万代」の語を用いて永遠性・不変性を詠むほか、「日」「月」「光」の語で院の世の安寧、遍く注がれる恩寵を詠むもの、澄んだ「月(の光)」「水」によって清浄を詠むもの、日本の神に触れてその加護を暗示するものなどがみられる。また、『荘子』逍遥遊篇を踏まえて「椿」を詠みこんだ例や、浦島子伝説や蓬莱山の伝説との習合が見られるが、いずれも不変性や永遠の命を述べるものといえる。このように、後鳥羽院政下では「はこや」の語が『荘子』の世界を保持しつつ、自然の事象を詠み込むことにより、王権の永続性・清浄性を表していることを述べた。